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NLP と瞑想

「NLP と瞑想」ワークショップ関連情報

以下にあるのは、本ワークショップに関連する情報です。

1.山田孝男氏との出会い (「新・これが本物の NLP だ!」第 127 号 FAQ (頻繁に尋ねられる質問) の編集引用)

2.「NLP と瞑想」ワークショップについて (「新・これが本物の NLP だ!」第 128 号 FAQ の編集引用)


1.山田孝男氏との出会い

Q46 (127): 北岡先生の日本での「ワークショップ講師デビュー」について語っていただけますか?

A46 (127): そうですね、私の正式な日本での「ワークショップ講師デビュー」は、2003 年の 2 月頃山梨県大月市の「APG ピラミッド センター」で開催された「NLP 紹介」ワークショップだったと思います。

2002 年の 9 月に、18 年間の英国滞在を終え (といっても、現在でも、私は英国に会社をもっていますが)、帰国した後、私は、フリーランスの NLP トレーナーとして売り込むべく、数多くの団体と会社に対して自分の「履歴書」を送りましたが、ほとんどの会社は私の過去の実績を問題にして、私を雇用しようとはしませんでしたね。その中で、私の師匠の弟子の方々から、瞑想の大家として「山田孝男」さんという方がいらっしゃるということを聞き、当時山田氏が運営されていた APG ピラミッド センターにコンタクトしたところ、2002 年の秋頃、同氏にピラミッド センターで面談していただきました。

同氏とは、約 2 時間くらいお話をして、同氏がアイソレーション タンクを含めた「ニューエイジ系の変性意識の研究」にご興味をおもちであることがわかり、その上で、西海岸のさまざまなカウンター カルチャーの試行錯誤の上に集大成として NLP が誕生した経緯と、NLP が悟りの道にも適用できる革新的方法論であり、まさにその研究を私がしてきていることをお話させていただいたところ、翌年の 2 月にピラミッド センターの定例講習会があるので、そこで 3 時間程度の NLP ワークショップを開催したらどうですか、という提案を受け、翌年、私の正式な日本での「ワークショップ講師デビューの運びとなった次第でした。

実は、山田先生は、私がそのワークショップを開講した 2003 年の 7 月に病気で亡くなられたのですが、それ以来、あれだけのカウンター カルチャー系の変性意識研究の学派を実際に体得されていた瞑想家の方は、私の「瞑想と NLP」の架け橋のかけ方にピンとこられ、その後の私の変性意識トレーナーとしてのポテンシャルを即見抜くことができたのではないか、と思い続けてきています。

我田引水的に言うと、しばらくして肉体を離れることになる山田先生から「お前の方向性は間違っていない。その方向性でいくがいい」という「お墨付き」をいただいた気がしてなりません。

事実、このワークショップに参加されていて、山田先生を長年ご存知だった方で、その後私の社内講習も開いていただき、私の「マインドワーク」の原型のワークの開講の協力もしていただいた方から「私の知っているかぎり、あの山田先生が一度だけ二時間程度会っただけで、私のところでワークをしてみませんか、というオファーをした人は、今までに二、三人しかいませんね」という指摘を受けたことがあります。

山田先生からはサイン入りの自著の『瞑想のススメ』をいただきましたが、非常にいい本だと思います。その後、ご自身のインドでの修行と LSD 体験を書いた『マジカル・チャイルドの記憶』がナチュラル スピリット社刊行の『山田孝男全集』の第二巻として昨年発行されると聞いて発行を待っていたのですが、ずっと遅れていたようなので、そのまま購入できずにいたのですが、2003 年の私のデビュー ワークの参加者で、現在私の資格コースに参加されている方から「その本はすでに出版されているはずです」と聞いたので、Amazon で購入して、読んでみました。

『マジカル・チャイルドの記憶』は、200 ページ程度の読みやすい本ですが、改めて、先生の、催眠、瞑想、化学的に誘発された変性意識状態等に対する、左右脳がバランスの取れた研究のし方が読み取れ、さらに「この道を極めるには死ぬ覚悟がいる」といったコミットメント (初版の 1993 年の時点で、これほどのコミットメントを最近の若者に要求したら、そのセミナーには誰も来ないでしょう、とすでに指摘されているのは、非常に興味深いことです) で研究された点や、「ニューエイジ系の多くは現実逃避派である」といった指摘から考えても、2002 年当時、私の変性意識の観点からの「NLP と瞑想」のワークと方向性に、先生が即ご興味をもたれ、評価することができたのも、必然的だったのではないかという思いがますます強くなりました。

私のこの方向性のワークをさらに実際的に触れてみたい方は、「NLP と瞑想」ワークショップに参加されるようお勧めします。


2.「NLP と瞑想」ワークショップについて

Q48 (128): 「NLP と瞑想」ワークショップについて、コメントしていただけますか?

A48 (128): このワークショップは、 私の「昔取った杵柄」的なワークで、10 月 31 日に初開催されたものですが、参加者からの反響がよく、この第1回目を受講できなかった方々からのご要望もあり、「特別キャンペーン価格」で追加開講することになりました。

このワークが私の「昔取った杵柄的なワーク」であるという意味は、私の若い頃 (二十代、三十代) の本来の目的は、60 年代のヒッピー文化の「落とし子」として (事実、私の内的成長は、高校時代の私のヒーローであった (『万延元年のフットボール』までの) 大江健三郎と (三枚目のソロ アルバムの『アフター ザ ゴールド ラッシュ』までの) ニール ヤングと出会い、コロンビア大学の紛争をテーマにした『いちご白書』やピンク フロイドがサントラを担当し、地中海のイビザ島がヒッピー化するきっかけとなった『モア』という映画にのめりこんだ 1972 年当時、16 歳で止まっていると言っても過言ではないくらいです)、ヒッピーたちが実験した、カウンターカルチャー的な変性意識 (主に瞑想と化学的に誘発された変性意識状態) の実践的研究を究めることで、その一環として、(仏語通訳として) サハラ砂漠に 3 年間滞在し、その後イビザ島を含むヨーロッパ中でヒッピーのように放浪生活し、その後、アメリカ西海岸のオレゴン州のインド人導師のコミューンに赴き、そこで 1983 年にこの導師に弟子入りしました。

その後、通算 12 ヶ月間のコミューン生活を含め、27 年間継続的に瞑想を休みなく続けてきているつもりです。特に、1985 年の夏にコミューンのラジニーシマンディアという 300m x 500m くらいの広さの吹き抜けの道場 (この道場は、Google の航空写真地図によれば、いまだに現存しているようです) で私の師匠が考案した「クンダリーニ瞑想」というダンシング瞑想を行っていたとき、後半部で、自分がまったく宇宙遊泳しているような状態となり、究極の「恍惚感」を感じ始めました。間違いなく、クンダリーリ エネルギーが第七のクラウン チャクラまであがってしまったようでした。

この恍惚感が単なる私の「幻想」ではなかったことは、その状態で、道場の脇の靴脱ぎ場で、当時同じ心理療法のコースに参加していた米人女性三人とハギングしたとき、四人とも、いわゆる「昇天」してしまったことで確かめられましたし、また翌日、日常の生活の修行として、山でホウレン草を摘んでいたとき、30メーター向こうからドイツ人女性が私のエネルギーを感じ取り、近寄ってきたので、この人とハギングしたときも、二人とも昇天したことで確かめることができました。(なお、この状態は、約 3 週間程度続きましたが、その後反復されることはありませんでした。)

このように、私は、当時自分自身が、現在私が「背中に羽が生えたピヨピヨ系の精神世界の人々」 (すなわち、山田孝男氏の言う「ニューエイジ系の現実逃避派」) として「断罪」しているカテゴリの一人であったことは否定しませんね。

ただ、その後、世界中で私の師匠の弟子に何百人、何千人単位で会いましたが、私の見るところ、そのほぼすべての人々は、単にセックスとドラッグに溺れてしまっている、私の言う「対象物との自己同一化の解除」ができていない人々だったので、いつしか、「独自路線」を歩み始めることになりました。

その後、おそらく私の師匠がモデリングしたと思われる (ラーマクリシュナの高弟の) ヴィーヴェックアーナンダを研究しましたが、彼が以下のことを言っていることを知りました。

「精神は、その一つ一つが潜在的には神だ。
目的は、外部と内部の自然をコントロールすることにより、この神性を顕在化することにある。
このことを、日常の仕事、崇拝、サイキック コントロール、哲学のうちの一つ、二つ以上、またはこれらすべてを通じて行うがよい。そして自由になるのだ。
これが宗教のすべてだ。教義、教条、儀式、経典、寺院、形態等は、二次的な枝葉末節以外の何ものでもない。」

(注意: この引用で、「日常の仕事」、「崇拝」、「サイキック コントロール」、「哲学」はそれぞれ、カルマ ヨガ、バクティ ヨガ、ラージャ ヨガ、ジュナーナ ヨガの 4 つのヨガの手段を表しています。)

ということで、いわゆる悟りの道は、私の師匠の弟子の多くが「唯一の道」として選択しているように見える「崇拝、献身、愛 (=バクティ ヨガ)」の道だけではなく、場合によっては、「サイキック コントロール、メンタル コントロール (=ラージャ ヨガ)」や「哲学、知識 (=ジュナーナ ヨガ)」によっても達成可能であることを知るようになりましした。

その後の私のおそらく何万時間にもおよぶ研究の結果、「サイキック コントロール、メンタル コントロール」の権化は 2,500 年前に「ヨガ ストラ」を著したパタンジャリであり (ありとあらゆる形態の瞑想は、「ヨガ ストラ」にある方法論を超えていないことは、最近の私のメルマガで言及されています)、「哲学、知識」の権化は 8 世紀に「アドヴァイタ (非二元論的) ヴェーダンタ」を創始したシャンカラチャリヤであることを「発見」しました。特に、シャンカラチャリヤの本は、サンスクリット語から英訳された本をすべて読みましたが、彼の左脳的分析には畏怖の念と究極の審美性を感じてしまいます。

その後、いわゆる自己啓発の方法論として NLP を知るようになりましたが、その「二人の父」が「現代のパタンジャリ (=ラージャ ヨギ)」と形容していいミルトン H エリクソンと「現代のシャンカラチャリヤ (=ジュナーナ ヨギ)」と形容していいグレゴリー ベイツンである以上、この方法論が「現代のラージャ ヨガもしくはジュナーナ ヨガ」の方法論として使えないわけはない、というのが論理的帰結であるはずです。

特に、グレゴリー ベイツンについて言えば、あるとき、変性意識の研究の一環として「LSD セッション」を行ったのですが、セッションのガイド役の人と美しい薔薇の花を「右脳的」に経験するということが要求されていたのですが、ベイツンは、そのセッションの目的を外れて、「左脳的」な、哲学的な難解な説明を薔薇の美について延々と語り始めました。もちろん、ガイド役の人は、ベイツンに「すみません。この時間は、左脳を止めて、右脳的に現実をあるがまま体験する時間です」と注意したところ、ベイツンは逆に「黙れ! あなたには、この薔薇の花がこの美しさを達成するまでに、いったいどれだけ多くの何百万という思考が必要であったかということが見えないですか?」と一喝しました。

すなわち、ベイツンにとっては、マインドの進化と自然の進化はまったく等価であり、そこに (人為的な) 線引きをしてしまうのは、究極的な左脳の分析の美しさを理解できない、右脳オンリー志向の「現実逃避派」であることの証明であると思われます。

以上のことは、もちろん、FAQ47 の末尾にある以下の結論とも深く関連しています。

「私の師匠は『ノーマインド』を提唱しましたが、だからと言って『マインド』と名の付くものを『左脳的』等ということでことごとく排斥しようとする多くの瞑想家の立場は、あまりにも無邪気すぎるように思えてなりません。

真の瞑想家が進むべき道は、『マインド (≒左脳≒自我)』と『ノーマインド (≒右脳≒外界)』のホーリスティックな再統合もしくは弁証法的止揚であるべきだと、私は主張します。」

以上の観点をもとに、私の「NLP と瞑想」ワークショップが再開催されますが、本ワークショップには以下のような特徴があります。

1) 1 時間に及ぶような瞑想セッションはありませんが、「瞑想のし方」が伝授されます。
2) 「瞑想、催眠、NLP」の「三位一体説」の観点から、瞑想誘導と催眠誘導は、実質的には何ら変わるところはないことが例証されます。
3) 2,500 年前のパタンジャリの「ヨガ ストラ」にある瞑想テクニックに NLP が取って代わりうる (= 1 時間瞑想した後の境地と頭の中で行う数秒間の NLP テクニックの後の境地が同じである) ことが例証されます。
4) NLP は、一つのことに意識を集中することによって、気持ちを落ちつかせ、心を静かな状態に導く「サマタ瞑想」 というよりもむしろ、自己内観法、内省法である「ヴィパサナ瞑想」のための方法論であることが実証されます。

以上のような私独自のワークに興味のある方々に本ワークショップの参加を強くお勧めいたします。

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