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北岡用語解説集 (アーカイブ)

エッセイその四:人間の主観的体験に関する考察

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最新情報 1:本ページで見られる「専門用語」は、ほぼすべて、「北岡用語解説集」で解説されています。

最新情報 2:今後、北岡用語解説集の「アーカイブ」セクションに、逐次、書き下ろしエッセイをアップしていきます。乞うご期待ください。

「人間の主観的体験」 (これは「人間の意識」と言い換えてもいいかもしれませんが) とは何か、は極めて興味深く、重要で、かつ、最終的な答えを見つけることは不可能なようにも思えます。

最近読んだ『脳と心のしくみ』 (池谷裕二著) に以下のような文章があります。

「自我や意識は、物質ではなく、精神的な活動であることが問題を難しくしています。つまり物理的実体ではないわけです。たとえば、スピードとは何かを調べるために、クルマを分解する人はいるでしょうか? どんなにクルマを分解しても、スピードについてまったくわかりません。なぜなら、スピードとはクルマが走っている『状態』だからです。ですから物質であるクルマを分解してもスピードという概念は出てきません。自我や意識もこれと同じようなもので、物質である脳をどれだけ細かく刻んで観察しても、一向にわかるものではないのです。」(40 ページ)

「意識によって、自分が制御しているという考えは、完全に勘違いです。人間にはたくさんの自己が同居し、常に複数の事柄を並行して処理しています。しかも、ほとんどの事柄は意識にのぼらずに、無意識に処理されています。さまざまなことを同時にやっている『多重人格的な私』が自我を持つためには、『自分は1人しかいない』と意識上で勘違いすることが重要なのかもしれません。」 (43 ページ)

これらの引用についての私の感想は、以下の通りです。

1) 池谷氏はいわゆる脳機能学者ですが、同氏の脳機能を研究する目的は、自我や意識が何であるかを (もともと不可能なので) 解明することではなく、実体のない自我について知りたいと思うようにプログラミングされている脳の願望を生み出す神経メカニズムの解明にある、ということです。

ちなみに、この立場は、最近私が研究してきている欧米の神経科学者の立場に近いと思います。

2) 池谷氏のように、「さまざまなことを同時にやっている『多重人格的な私』が自我を持つためには、『自分は1人しかいない』と意識上で勘違い」するのであれば (私は、この精神的導師のグルジェフ的立場に完全同意しますが)、文字通り「すべての現実は仮想現実」ということになります。なぜならば、「現実を認識」しているはずの「実体がある」と思い込んでいる「自我」そのものが、もともと幻想であるわけですから。

3) では、何が現実かというと、私が過去 30 年以上にわたって研究してきているシャンカラチャリヤが言うように、「絶対なるもの・真なるものは、不変である。唯一不変なものは、誕生も死滅もすることなく、現象界の後ろに鎮座ましましていて、ただただ永遠に現象界を見続けている『純粋観照者』 (英語では『Witness』、NLP では『メタ』) である」ということにならざるを得ないかと思います。

4) 私は、「エッセイその三:『人生とは、扁桃体と前頭葉の対話である』」で、以下のように書かせていただきました。

「これらの [最近の欧米の] 神経科学者たちは、原則的に、『脳機能が意識を作り出す』という『神秘学、隠秘学的立場』とは真逆にある唯物論者であるように思われますが、しかし、その中でも、『数少ない学者』は、唯心論者である神秘学、隠秘学の研究家が『あぐらをかいて、うかうかしていられないような』とんでもない発見と主張をしてきているようです。

私が見るところ、このことが可能になっている背景としては、西洋では 60 年代から脈々と続いてきている『カウンターカルチャー』の歴史 (もちろん、NLP もその歴史の中で生まれていますが) の中で、『意識の拡張の実験』をしまくった新しい世代の人々が『「ポスト」化学的変性意識』の研究のツールとして、神経科学等の研究分野を選び、その上で、『向こうの世界 (神的意識)』を見た後『こちらの世界 (現象界)』に戻ってきて、改めて人間の脳とは何かをマッピングし始めている、ということが指摘できると思います。」

私は池谷氏についてはコメントできませんが、現在、私が研究してきている欧米の「『ポスト』化学的変性意識」の研究家で、「唯心論者である神秘学、隠秘学の研究家が『あぐらをかいて、うかうかしていられないような』とんでもない発見と主張をしてきている」神経科学者は、「間違いなく」現象界を超越した「純粋観照者」が何であるか体験的に全脳的に知っている人々だと、私は思っています。

思うに、すでに半世紀の歴史のあるカウンターカルチャーの影響を受け、「化学的変性意識を実験しまくっている」若者が、欧米を中心に何千万人、何億人単位で存在してきていますが (この辺は、日本の常識をはるかに超えていると思います)、このような実験を通じて、「しらふ」 (笑) の「唯心論者である神秘学、隠秘学の研究家が『あぐらをかいて、うかうかしていられないような』とんでもない」体験を「神の国」でして、現象界に戻ってきた後、スマートな考え方をする、極めて頭脳が優秀な逸材のグループが、(最近公開された映画「Dr ストレンジ」 (この映画を IMAX 3D で見ましたが、「マトリックス」に劣らないくらいよくできた映画だと思いました) の主人公のように) 仮に、社会的名声と地位があり、極めて高報酬で、かつ、意識とは何かを (直接的ではなく、間接的であったとしても) ピンポイント的に研究できる神経科学の分野を生業として選び、極めてハイレベルな意識の研究家として、職業的に脳機能を研究してきているとしても、論理的にまったく合点がいくと思いました (ちなみに、Dr ストレンジは、交通事故で「神の手」が使えなくなって「解脱者」を求める旅に出るまでは、バリバリの唯物論者の脳外科医でしたが (笑))。

5) 脳機能を研究する場合、「脳が意識を作り出す」という唯物論的な立場を取るのか、あるいは、「意識が脳を作り出す (!)」という唯心論的な立場を取るのかは、各主張者の「実際の現実的 (すなわち、幻想的 (!)) 体験」に基づいているので、どちらの立場が正しいかの最終的な結論を出すことは、未来永劫にわたって不可能であるように思います (最終的な結論は、肉体が死んだときにわかるはずです (笑))。

ただ、「現実がどのようになっているか」についてのモデル (あるいは仮説) を提唱することは可能で、また、該当のモデルが実用的、経験的にどれだけ適切に機能するか、についての「客観的」な議論をすることも、もちろん可能です。

ということで、私が興味深いと思った「主観的体験のモデル」を、本紙上で二つ紹介させていただきたいと思いました。

一つ目は、以下に示された「グリンダー式主観的体験モデル」 (http://www.kitaokataiten.com/imgdir/img/jg_model.gif) です。


ジョン グリンダー氏は、「外界」に何があるのか、あるいは、そもそも外界が存在するのか否かについては、いっさい口を噤む「不可知論者」です (この外界は、シャンカラチャリヤに言わせたら、「目で見えず、耳で聞こえず、肌で触れず、口で味わえず、鼻で嗅ぐことができない『五感を超えた』何か」です)。

一方で、同氏は、いわゆる外界から入ってくるインパルス (入力) が人間の神経系統において、「変換に次ぐ変換に次ぐ変換」を経て生み出される「FA (ファースト アクセス、最初にアクセスできる主観的世界)」については、ありとあらゆることを語ることができる、という立場を取っていて、実際、1988 年に初めて私が同氏の英国でのワークに参加したとき、私は、この「元イエズス会の論客」の、見事としか形容不可能な「左脳の自由自在な使い方」をする認識論的な議論には、文字通り「舌を巻き」、それ以来、同氏に師事してきています。

ちなみに、FA は、「主観的体験、世界地図、仮想現実、(コンピュータの比喩における) モニタ、その他」と言い換えることができます。グリンダー氏は、入力の変換の連続部分を「F1 (フィルター 1)」と定義していて、FA の後に起こる主観的操作 (たとえば、胃が痛い場合、これは失恋の痛みだと解釈することや、橋の設計士がデザイン時に視覚的に橋の一部を取り出して、上下逆さにして、別の場所に移したりする場合が例として挙げられます。NLP のサブモダリティの変更も含まれます) を「F2 (フィルター 2)」と定義しています。

この「グリンダー式主観的体験モデル」については、二つの興味深いコメントがあります。

a) グリンダー氏は、F1 の部分の解明はほぼ不可能で、もしそれができたらノーベル賞ものだ、とおっしゃっていましたが、現在私が研究している欧米の神経科学者の研究こそ、この F1 のメカニズムを解明する試みではないか、と、今、私は考えています。

b) このグリンダー氏のモデルを過去の資格コースで紹介したとき、あるコース参加者が、「F2 は意識的操作だと思いますが、この部分を操作すると、目に見える口頭レベルでの表層構造を触ることでクライアントの目に見えない無意識レベルの深層構造を変える『メタモデル』テクニックと同じ意味合いで、無意識的操作の部分である F1 を変えることにはなりませんか?」という極めて興味深い質問をしました。

私の答えは、「それは充分ありえます」というものでしたが、現在、私は、F2 の意識的操作を変えることは「脳内の神経細胞のシナプスの発火のし方」を変えることに他ならず、このため、このシナプスの発火のし方の変更は、脳内の「意識化されることのない無意識的な神経細胞の発火のし方」にも必然的に波及しうる、と考えています。

(ここで私が思うことは、常々、私は、「『一時的に温泉気分を味わうだけで、娑婆に戻ったら元の自分に戻ってしまう』前 NLP 的方法論と『目に見える部分を触ることでその行為をしている主体自体を変えてしまう』NLPとはまったく次元が違う」と主張してきていますが、この違いを確かめる試金石は、F2 の変化が F1 の変化を引き起こすかどうか (引き起こさない場合は、前 NLP 的です)、だということです。

このことは、私は、体験的に深く確信していますが、過去 15 年間の国内の NLP 講義の経験から言って、「一度でいいので現象界を超えたことのない人」あるいは「瞑想、催眠を含む前 NLP 的方法論をいっさい試したことのない人」がこの違いに気づくことは、機能的に不可能なようにも思います (笑)。)

ちなみに、私が通っている整体師に以上に関連したことを伝えたら、「最近、神経科学の発見は著しく、脳卒中等で可逆性がないと思われていたシナプス レベルでの機能的問題についても克服できる可能性が発見されつつある」ということでしたので、私も、「これから私も本格的に神経科学の研究を続けたいですが、その中で、自分の麻痺した左手の機能回復も不可能ではないでしょうし、もしそうなれば、私の心理学としての NLP の体験的知識とノウハウはかなりのものなので、逆に、事故、病気、高齢等による脳機能障害を治癒しようとしている研究者たちに私は多大な貢献ができることになるでしょう」とお伝えさせていただきました。

 

私が興味深いと思った二つ目の「主観的体験のモデル」は、今私が研究している仏人神経科学者 (詳細情報は、「エッセイその三」で示唆したように、将来さらに学術的な執筆をする際に明らかにしたいと思っています) が提唱する「広域神経細胞処理空間」というモデルです。

「広域神経細胞処理空間」は、脳内全体で同期しながら発火した神経細胞群 (この細胞群は「脳網」と呼ばれているようです) が「意識を生み出す」場所で、この「空間」 (ただし、物理的空間ではなく、あくまでも仮想空間ですが) に関連した神経細胞群には以下の 5 つがあるようです。

a) 脳内全体の「脳網」レベルで神経細胞が同期して発火することで生み出される「意識的思考」
b) 充分意識化される可能性がありつつも、他の意識的思考が処理されているので、「広域神経細胞処理空間」までたどり着いていない「前意識的刺激」
c) fMRI 等によって、実際に脳の一部の神経細胞で知覚されていることが確認されているにもかかわらず、脳網レベルでの神経細胞の発火までは引き起こされず、意識化されることがない「サブリミナル刺激」
d) 「広域神経細胞処理空間」上で意識的にコントロールすることが不可能な「分断された処理機能」 (例としては、脳幹がコントロールしている呼吸機能があります。この分断処理機能は、元々とは異なる機能様式である胸の上下運動によって初めて意識化することが可能です)
e) 神経細胞の情報が複雑な発火パターンの中に隠れている「暗号化された刺激」

このうち、e) についてはさらなる説明が必要かと思いますが、最近の神経科学の発見によれば、たとえば、「クリントン大統領」 (該当の発見がなされたとき在任していた大統領の名前なので、現時点では、「トランプ大統領」とすべきですが) の顔だけに対して反応する神経細胞が存在することが発見されているようです (この特定の神経細胞は、クリントン大統領の写真だけにではなく、「クリントン」という言葉にも反応するらしいです (!))。

さらに、ここからは私自身の理解になってしまいますが、たとえばですが、顔の輪郭だけに反応する神経細胞、表情だけに反応する神経細胞、声の抑揚だけに反応する神経細胞その他無数の「専門的機能に特化」した神経細胞が存在していて、それらの集合的な無意識的な演算操作の結果でしか、人は「私の目の前にいるのは誰それさんだ」という意識的認識をもてないようです。

私なりにこのことをさらに敷衍して言うと、NLP のサブモダリティはまさしくこれらの「専門的機能に特化」した神経細胞がもっている固有の情報を扱っているということになります。この意味で、人間の脳をホログラフィーであると見なした上でサブモダリティを発見したリチャード バンドラーの、現代神経科学が生まれる何十年も前にもった直感的洞察は、実に見事で、偉大なものであると言わざるをえません。

(この意味においても、私には、40 年前に創始されたソフトの心理学である NLP のこれまでの発見と、最近の fMRI 等を通じた、ハードの科学である神経科学の画期的な発見には、矛盾はなく、今後、両者の間に相乗的効果的な相互の影響がありえることを、私なりに明示化していきたいと思っているところです)。

ということで、私には、「e) 神経細胞の情報が複雑な発火パターンの中に隠れている『暗号化された刺激』」の意味は、「専門的機能に特化」した神経細胞群の脳網レベルの複雑な集合的な演算操作の結果を意識化することは可能であるが、その演算前の個別の神経細胞レベルに収まっている情報を意識化することは、機能上まったく不可能であるように思われます。