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北岡用語解説集 (アーカイブ)

エッセイその三:「人生とは、扁桃体と前頭葉の対話である」

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最新情報 1:本ページで見られる「専門用語」は、ほぼすべて、「北岡用語解説集」で解説されています。

最新情報 2:今後、北岡用語解説集の「アーカイブ」セクションに、逐次、書き下ろしエッセイをアップしていきます。乞うご期待ください。

私は、2012 年に最後の NLP 資格コースを開講した後は、主に業界外の個人セッションの分野で活動してきていますが、その過程の中で、「なぜ国内の NLP 学習者のほとんどが『大化け』しないのか (あるいはそもそも『大化け』したいと思わないのか)?」という大命題のメカニズムを「完全解明」することにすでに成功しているつもりでいます。

(ちなみに、現在、将来の北岡「通信制認定コース開講」の可能性を見据えて、私の最後開講の資格コース収録ビデオを何度も見直していますが、個人的には、このビデオは「とんでもないノウハウ開示の場」で、おそらく、国内のコーチング/研修/トレーニング史上「歴史に残るワーク収録ビデオ」になると自負しているところです (笑)。)

すなわち、「なぜ国内の NLP 学習者が『大化け』しないのか?」の命題の私の答えは、要約すれば、学習者に以下の前提条件が整っていないからです。

1) 自分の人生上の「大いなる勘違い」の「目的」の確定ができていること
2) 現実を仮想現実化できていること
3) 扁桃体を快にして演習等の自己適用 (修行、練習) ができること

この三大条件のうち、「現実を仮想現実化できていること」については、一昨年から昨年にかけて、「現実という名の RPG ゲーム」という演習を独自開発することに成功し、この条件が満たせていない学習者が条件を満たせるようになるように支援することができるようになっています。

また、「扁桃体を快にして演習等の自己適用 (修行、練習) ができること」については、該当の命題の答えを見つけるために試行錯誤・模索していた昨年、私は、ある国内の著名なスポーツ心理学コーチが「扁桃体を快にして修行、練習をすれば、誰でも『天才』になれる」と主張していることを知り、この思索家の本の大半を読みこんでみましたが、この方の主張は、私が子供の頃試行錯誤の末無意識的に身につけた「メタ学習ストラテジー」そのものを「完全に明示化」していることを知って、驚愕しました (この方の名前と主張については、無料会員制の「新北岡遇辺メルマガ」で限定公開してきています)。

ただ、残念ながら、この方が書いた数多くの廉価版の書籍を読んでも、15,000 円の高価本 (二冊) を読んでも、参考書籍目録も索引もまったく掲載されていないので、この方の「主張の根拠」がいったいどこからきているのかわからないままだったのですが、しばらく前に、ある日本語の本の中で、「扁桃体の専門家」の米人神経科学者の名前が「注」として掲載されているのをたまたま発見をして、それ以来、この学者の書籍とその末尾にある書籍目録を参考にしながら、自分なりに最先端の神経科学の研究をしてきていて、そのなかで、(少数の) 現代神経科学者たちは「とんでもない」発見をしてきていることを知りました。

(ちなみに、このスポーツ心理学コーチの自分の研究の根拠を開示しないスタンスは、極めて「日本的」だと思います。15,000 円の高価本の一冊の NLP を解説した一説では、私の資格コース教材にある図式がほんとどそのまま「無断」掲載されている (笑) のを知って、びっくりもしました。ただ、私自身も、今後英語での論文書籍の執筆の場合は除いて、私が研究した学者の名前と書籍すべてに言及しない可能性があります。主な理由は、まず、本紙は学術論文の発表の場ではないからであり、さらに、残念ながら、国内の自己啓発関連業界では、参考文献が、それも英語の原書で、熟読される場合はほとんどないように思われるからです。英語書籍では、おそらく、注記、参考書籍目録がなければ、主張の根拠を示せていないという理由で、市場からまともに相手にされなることはないようにさえ思われます。)

「現代神経科学者たちの『とんでもない』発見」については、思うに、純粋な「ソフトウェア ツール」である NLP が誕生して、40 年以上が経っているわけですが、私は、この間、ソフトの面では NLP 以上の研究結果と実績を達成している学問は生まれていない、というスタンスは、いまだに崩していないですが (笑)、ただ、最近の神経科学関連の書籍を読んでいると、この 40 年間に生まれた「fMRI (機能的磁気共鳴断層撮影)」 (開発したのは日本人の方のようです) を始めとする脳機能に関するハードウェア面の研究は、極めて著しい成果を収めてきているようです。

これらの神経科学者たちは、原則的に、「脳機能が意識を作り出す」という「神秘学、隠秘学的立場」とは真逆にある唯物論者であるように思われますが、しかし、その中でも、「数少ない学者」は、唯心論者である神秘学、隠秘学の研究家が「あぐらをかいて、うかうかしていられないような」とんでもない発見と主張をしてきているようです。

私が見るところ、このことが可能になっている背景としては、西洋では 60 年代から脈々と続いてきている「カウンターカルチャー」の歴史 (もちろん、NLP もその歴史の中で生まれていますが) の中で、「意識の拡張の実験」をしまくった新しい世代の人々が「『ポスト』化学的変性意識」の研究のツールとして、神経科学等の研究分野を選び、その上で、「向こうの世界 (神的意識)」を見た後「こちらの世界 (現象界)」に戻ってきて、改めて人間の脳とは何かをマッピングし始めている、ということが指摘できると思います。

(少なくともそのようにでも考えないと、単なる「左脳的な唯物論者」では提唱できないような「『神的意識』、『神秘の世界』を、脳機能の一部である『ニューロン』や『シナプス』等の観点からの論理的なマッピング」に成功している神経科学者の存在を説明できないと思います。)

ということなのですが、最近ある神経科学者の本の中で、実に興味深い、兎の実験結果について読みました。兎に、よく似た二つの音を聞き分けるように訓練した後、一方の音とともに電気ショックを与えて、「条件反射」を確立させ、もう一方はショックを与えませんでした。この兎は、一方の音だけに条件反射反応を示すようになったわけですが、その後、「聴覚的大脳皮質」を除去したら、兎は、再び、二つの音を聞き分けられなくなった、ということです。つまり、よく似た音を聞き分けるような「識別区分機能」は、大脳皮質にあるということが発見されました。ただ、もっと興味深いことに、「聴覚的大脳皮質」を除去されたこの兎は、当初の二つの音の両方に対して、後天的に学習した電気ショックの条件反射反応を示すようになった (!)、ということです。

この実験の意味合いには、1) 条件反射を起こしている器官 (解剖機能学的な複雑性がありますが、本エッセイの議論上、「扁桃体」と限定していいと思います) は、大脳皮質 (本エッセイの議論上、「前頭葉」と限定していいと思います) をバイパス (迂回) している、2) 扁桃体は、「アバウトな識別区分」しかできず、(ビートルズとオアシスのような)「微妙な識別区分」は、大脳皮質にしかできない、等があります。

すなわち、扁桃体は、盲腸のように、人間の生命体としての「過去の進化の『負』の遺産」として見なされるべき形で、なぜ今なお存続しているのかと言うと、兎は (そして人間も)、「小枝を蛇と誤認識」しても、特に何も起こらないが、「蛇を小枝と誤認識」したら、即蛇に食べられて、生命体が死滅してしまうので、実際のところは、「多少の誤認識があっても、サバイバルのために必須の器官」として、扁桃体が「進化の『正』の遺産」として存続してきている、という極めて興味深い結論が導き出されます。

該当の神経科学者は、大脳皮質の本来の機能として、1) 扁桃体の反応を上書きできること、と 2) 大脳皮質は、「適切な反応」を引き起こすことができず、いかに「不適切な反応」を引き起こさないか、の目的のためにある、という極めて洞察に富んだ指摘もしています。

実は、私は、以上の議論は、たぶん、精神病を含む、すべての心理学的問題の根幹となる原因を究明していると、今、考えています。以下、このことに関する私の主張と根拠 (ここからは、私独自の発見内容となります) を記します。

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私の理解では、大脳皮質の本来の機能である「扁桃体の反応を上書きできること」とは、たとえば、人間の扁桃体が反応して、野原の小枝を蛇だと「誤認識」した場合、すべきことは、大脳皮質 (前頭葉) を活発化させて、NLP のいう「カリブレーション (観察、4Te)」を行って、「じっくりと野原を観察」して、「いやあれは、実は、木の枝ですよ」と扁桃体を安心させることだと思っています。

そのうえで、もう一つの本来の大脳皮質の機能として、大脳皮質より先に反応する扁桃体に「適切な反応」を引き起こすこように指示することは大脳解剖機能学上不可能 (!) なので、大脳皮質にできることは、「少しづつ」扁桃体を説得・教育することで、将来いかにして、過度で「不適切な反応」を引き起こされる頻度と程度を、「脱感作」作用を通じて、少なくしていくか、だけ、ということになります (ちなみに、それ以外にも、私は、このような大脳皮質の扁桃体に対する「脱感作」の教育を続けていれば、生命維持機能上、大脳皮質が介入できない「緊急事態」(ただし、もちろん、これは、扁桃体の暴走で引き起こされるパニック等の「心理学的」事態を意味してはいません。あくまでも、純粋に生命維持機能の「生死」に関わる事態です) が起こって、扁桃体「だけ」が反射反応を示している場合でも、さらにさらに的確な瞬時的反応を扁桃体が取れるように自分で自分を教育できる (なぜならば、大脳皮質の側からの「おっせかい」の介入がない分、「自信」をもって、自己責任で判断し続けることができるので (!))、というふうに思えます)。

上記の二段落で指摘されていることができていないことが、エクハルト トールのいう「ペイン ボディ」に絡みとられて、幼少時のトラウマ・感情移入状態から抜けられないでいる人々がいる、ことのほぼ唯一の原因であるという説明がつきます。

すなわち、これらの心理的問題は、おそらくすべて、「扁桃体の暴走」が原因になっていると言えます。

ちなみに、最近、私は、あるヨガの先生から、「扁桃体の同じ反応が 90 秒以上続いた場合、扁桃体が暴走している、と見なしていい」という指摘を受けました。この指摘は、私は、洞察に富んでいて、妥当性があるとは思いますが、ただ、この妥当性は、「普通の社会生活」が営めなくなる、いわゆる「神経症」、「精神疾患」と呼ばれているケースにとどまると思っています。なぜならば、私が思うところ、ある人の目的が「扁桃体の機能 (無意識) と前頭葉の機能 (意識) の止揚統合」 (すなわち、「メタマインドの顕在化」) であったり、「悟りの達成」であったりする場合は、ある意味、たとえコンマ何秒であっても扁桃体の「過剰反応」を抑える必要が出てくるからです。思うに、思考があること自体、すでに、扁桃体の、生命維持機能上極めて重要な「反射的反応」は終わっている、「余裕」のある「平時」の瞬間が訪れている (「余裕」のない「戦時」には、人はすべて扁桃体の機能に「明け渡し」していて、いっさい「思考」する暇などありません)、ということなので、極めて厳密に言うと、「どれだけ短いコンマ何秒であれ、思考があること自体、即、それは『扁桃体の暴走』と見なさざるを得ない」と、私は、極論したいと思います (ちなみに、この極論は、私が 30 年以上研究してきている古今東西の「悟りを開いた人々」の教えと、何ら矛盾していません)。

このことについては、私は、人間は、通常、ある「無意識からのメッセージ」の元が扁桃体にあるのか前頭葉にあるのか区別できていないので、仮に「扁桃体が暴走」した場合、それを前頭葉の側がモデリング (模倣) してしまうので、「前頭葉の暴走」が始まるのではないか、そして、このメカニズムが、現代人の抱えている「マインド (思考) の暴走」につながっているのでは、ないかと思うようになりました。

つまり、「1) (大脳皮質が) 扁桃体の反応を上書きできること、と 2) 大脳皮質は、『適切な反応』を引き起こすことができず、いかに『不適切な反応』を引き起こさないか、の目的のためにある」の二条件が満たされているかぎりにおいては、扁桃体は、「サバイバルのために必須の器官」であり、「進化の『正』の遺産」であるのに、これらの条件が満たされていなくて、大脳皮質 (前頭葉) も扁桃体に引きづられて、同じように暴走してしまうことが、扁桃体が (あくまでも、前頭葉にとって、ですが) 「進化の『負』の遺産」となっている最大の理由であるように思えます (!)。

ということで、「ある『無意識からのメッセージ』の元が扁桃体にあるのか前頭葉にあるのか区別」することが、以上のすべての問題の「肝中の肝」となると思いますが、このことについては、つい最近、ある個人セッションのクライアントから以下のコメントを受けました。

扁桃体の暴走を抑える・防ぐのに、ヴィパッサナ瞑想(カリブレーション、観察)が有効とのことでしたが、扁桃体の暴走のひとつの形として、4Te(現在意識)4Ti(過去意識)の混同があり、カリブレーション4Teの働き)によって4Te4Tiの切り離し(適切な機能分化)が行われ、扁桃体の暴走を解除できるということでしょうか。4Te4Tiの切り離しを行う主体はメタ意識という認識です。」

私は、これは、実にすばらしい洞察だと思いました。すなわち、どちらかというと扁桃体4Te (現在意識) に反応して、前頭葉は 4Ti (過去意識) に反応する傾向にあると言ってもいいと思いますが、そもそも「『中継状態』の 4Te」 と「『録画状態』の 4Ti」も区別できない状態では、「ある『無意識からのメッセージ』の元が扁桃体にあるのか前頭葉にあるのか区別」することは、到底不可能になっています。この状態では、扁桃体と前頭葉の「スパイラル的な相互暴走 (すなわち、『蟻地獄』)」が起こって当然です (!)。

かりに 4Te4Ti の「抜本的識別区分」ができるようになったら、私には、初めて、本来なら 4Ti 寄りの機能をしている前頭葉が 4Te にも注意を払う「余裕をもてる」ようになり、「『じっくりと野原を観察』して、『いやあれは、実は、木の枝ですよ』」と扁桃体を安心させるできるようになると思いますし、同時に、本来なら 4Te 寄りの機能をしている扁桃体4Ti にも注意を払う「余裕をもてる」ようになり、前頭葉の説得にも応じやすくなると思えます。このことは、「4Te4Ti の『抜本的識別区分』」ができていないうちは、達成不可能です。

ちなみに、上述の「1) 自分の人生上の『大いなる勘違い』の『目的』の確定ができていること」について、まだコメントしきれていませんでしたが、別の個人セッションのクライアントは、「大いなる勘違いは扁桃体にしかできない」という名言を吐いてくれました。

私もこの名言に同意しますが、その意味で、扁桃体の側の大いなる勘違いは、1) 前頭葉が暴走していたら不可能で、2) 前頭葉の暴走を止めるには、前頭葉の側の「扁桃体のモデリングを止める」必要があり、3) そのためには、「ある『無意識からのメッセージ』の元が扁桃体にあるのか前頭葉にあるのか区別」をする必要があり、4) この区別のためには、「中継状態」の 4Te と「録画状態」の 4Ti の識別区分が必要であり、5) 結論としては、ヴィパサナ瞑想としての「カリブレーション (観察)」が必須ということになります (!)。

思うに、私自身、1983 年 (私が出家した年) に「内的宇宙飛行士」として「意識の旅」を始めた初心者のとき、「マインドの中の『走馬灯』に映る『映画』の内容が『楽しかった』」ので (ちなみに、ユングの「エナンシドロミア」の観点から言っても、「楽 (天国)」があるということは、必ず「苦 (地獄)」あります (!))、「なぜ何も起こっていない、くそ面白くない『外界 (いわゆる外側の現実)』を観察する必要があるのか」と思いましたが、34 年経って、「くそ面白くない『外界 (いわゆる外側の現実)』の観察」にこれだけ深い意味があることを発見するとは、当時は、夢にも思いませんでした (!)。

ちなみに、本紙の私の主張は、「普通の生活上」において精神的・心理的問題を解決するためにも、「自己啓発難民」の方が「真の成功哲学者」に自己変容するためにも、アーティスト・デザイナー等が自身の芸術的潜在性を完全実現するためにも、スポーツ選手・武道家・武術家がその道を極め、達人になるためにも、会社経営者等が瞑想・宗教的儀式等を通じて求めている究極的な精神統一あるいは精神的バランスを達成し続けるためにも、無意識意識を止揚統合して、メタマインドを顕在化させることで「悟り」を実現するためにも、100% 妥当性のあるものだと、深く確信しています。

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以上が、私自身の最新の発見と主張ですが、本紙の内容に基づいて、私は、最近、以下の格言を作りました。

「人生とは、扁桃体と前頭葉の対話である。」

この意味合いは、通常、扁桃体と前頭葉の間には「対立」があるので、葛藤から抜けきれないことで、「自己啓発難民状態」が生まれていますが、この二者間の「対話」を始め、継続できるようになれば、徐々に扁桃体と前頭葉の間で「ダンス」をすることも可能になり、最終的には、真の成功哲学者 (解脱者) になることができる、というものです。

最近の私の独自開発の演習は、扁桃体と前頭葉の間の対話とダンスを可能にすることを目指しています。

さらに、このことを敷衍すると、以下のような表現になります。

扁桃体 (ノーマインド) と前頭葉 (マインド) の間の二元論的な対立もしくは対話もしくはダンスが生であり、
この二者間の対立のない一元論が死であり、
この二者を超越した非二元論 (メタマインド) が悟りである。」