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個人的天才になるための必要条件

「個人的天才になるための必要条件」ワークショップ参考情報

第一回ワーク内容 ワークショップ情報

 


以下の文章は、北岡メルマガ「これが本物の NLP だ!」第 134 号にある FAQ (頻繁に尋ねられる質問) の引用です。

Q60 (134): 3 月 22 日開催の「個人的天才になるための必要条件」の具体的な内容について説明していただけますか?

A60 (134): 3 月 22 日には一日ワークショップの「個人的天才になるための必要条件」が開講されますが、これは、その後予定されている同名のワークショップ シリーズの「プレビュー版」となります。

この特別ワークショップでは、私自身が、いかにして、「NLP 学習開始後」 (この点は極めて重要です) に 1) 英語を含む語学学習、2) NLP、3) 精神世界、4) 片手でのコンピュータの小キーボード操作 (英語直接タイプ打ち) のエリアで自分自身を「個人的天才」にしてきたか、のプロセスと方法論の開示 (すなわち、「種明かし」) がなされます。

(注意 1: 「個人的天才」とは、何もベートーベンやアインシュタインやピカソのような、社会的認知の観点から定義された「普遍的天才」ではなく、個々人自身の専門領域で自分自身の潜在性を開花させ、充全なパフォーマンス能力を発揮できている「自分が所属する業界での第一人者」という意味であることは、本メルマガでも何度か指摘されてきています。

注意 2: 「個人的天才になるための必要条件」ワークショップ シリーズは、各業界における個人的天才が行っている「マジックの種明かし」をするものであり、初回の一日ワークショップでは、私自身の個人的天才的技能の種明かしが行われますが、この「マジックの種明かし」という比喩で思いついた、非常に重要な「洞察」があります。

すなわち、それは、NLP はまさしく「マジックの種明かし」そのものであり、誰も (そうです、誰一人として)、マジックの種明かしを「左脳的」に理解しただけでは、(天才) マジシャンになれるはずはなく、マジックの種明かしの後の日々の切磋琢磨と何千時間 (たぶん 1 万時間) 以上にも及ぶだろう練習に継ぐ練習の後にしか、人々に感銘を与えられるようなマジシャンにはなれない (= 種明かしは、単に、その後の血の滲むような長年の継続的努力の第一歩でしかない) のは、周知の事実だと思います。

この点に関して言えば、NLP もマジックとまったく同じであり (私個人としては、Meta Mind Work の観点から、NLP を「現代の魔術 (Magick)」と呼びたいと思っているくらいです。「余興マジック」は「Magic」と綴られるべきです)、この前提で、1988 年から 7 年間 (たぶん 1 万時間以上) ひたすら自己適用 (練習) に励みましたが、左脳的に、耳年増的に、あたかも、1 本の電極を頭に差し込んだだけで、突然明日から外国語が完璧に話し始められるような「奇跡の方法論」を求めて NLP を学び始め、さらに、学習後は「NLP の落とし込み方 (= 自己適用のし方) がわからない」と言う人々が国内外に蔓延している事実は、極めて遺憾で、残念なことです。

今まで私は、NLP は天才になるための方向性を教えてくれるだけ、という比喩を使ってきていましたが、今後は、NLP は天才マジシャンの種明かしをしてくれるだけで、それだけではマジシャンになれない、という比喩を使っていくことにします。)

ということで、3 月 22 日のワークショップでは、私自身がどのように「通訳/翻訳および文章執筆力のエリアの英語」における個人的天才にしてきたかの種明かしが行われます。

思うに、私が英語の通訳/翻訳および文章執筆において個人的天才性を獲得したのは、1988 年のグリンダー氏の NLP との出会いの「後」でした。その意味で、私は、NLP によってしか自分を英語の個人的天才にすることができなかった、という言い方は嘘でも、誇張でもありません。

具体的な方法論としては、1988 年以降、滞在していた英国ロンドン市の自宅で、1) 毎日夜 30 分間 BBC TV ニュースを数年間以上見続けた、2) 学研の「アンカー辞典第二版」の 1 ページ目から最終ページまですべてのページに鉛筆で残さず下線を引いた、といった「独学」の方法論を採用し、たとえば、ジュンク堂等の英語学習コーナーにあるような何十冊、何百冊もあるような「翻訳力養成ノウハウ学習本」等はいっさい読みませんでした。

結果としては、最終的に最も精度が要求され、最も報酬の高いコンピュータ ソフトウェアのマニュアルや UI の翻訳である「ローカライゼーション翻訳」業界で働くことになり、1990 年代の HTML エディタの定番である Dreamweaver バージョン 2 の日本語訳は私の作品であり、2002 年初めには、英国ケンブリッジにあるローカライゼーション翻訳エージェントのために 3 ヶ月で 45 万ワードの翻訳をし、円換算で数百万円の報酬を得ました。(3 ヶ月 45 万ワードの翻訳がどれだけ驚異的かは、少なくとも業界の人にはわかっていただけるかと思います。)

ちなみに、このエージェントには、「あなたのような速度と正確さで翻訳する人がいれば、本プロジェクトは 3 人で事が足りるのですが、そういう人はまずいないので、後 10 人も探す必要があり、困っています」と言われたほどの速度と精度で、私は英文マニュアルの和訳翻訳ができましたが、このことを右手一本で行っていたというさらに輪をかけた「驚異性」があるわけです。

そのような驚異的なことがどのように可能であったかの「種明かし」は、もちろん、本ワークショップで行なわれます。

また、通訳としては、英国貴族の専属通訳や、携帯電話会社の会議通訳、国内電力会社 7 社の社長夫妻が英国の核燃料再処理会社から英国再処理施設の見学と英国首相との会食のために招待されたときの通訳業務等を果たしました。私の英語の発音はそれほどよくはありませんが (私の場合、英語よりフランス語の方が発音はよく、フランス語よりもドイツ語の方が母国人に近いです)、ロンドン大使館の上級館員からは、「北岡さんの通訳は、間の取り方が実にうまいいですね」とお褒めの言葉をもらったこともあります。

英語執筆力としては、特に 95 年以来世界中の人々と電子メールで何万通というメールを英語で交信してきていますし、私の書く英語は、構文 (五文型) 的、文法的に正しいもので、「母国人が書く、自然な、若干スペル等が間違った程度の英語」の文章が書けると自負しています。

この私の英語は、英語力に自信があると思っていて、実は、安価な翻訳機械にかけた後の英文和訳のように、母国人にとっては頭が痛く、笑止千万のレベルの英語しか書けない日本人とはまったく比較できない完成度であるとも自負しています。

いかに自然な英語を、直接打ちできるかの実演を、実際に本ワークショップで行ってみたいと思っています。

ちなみに、私は、本メルマガで、英語学習と「水平的学習者がいかに垂直的学習者になれるか」に関連して、「run three miles」 (「3 マイル走る」) の用例を引き合いに出してきていますが (詳細は、本メルマガの第 59 号その他を参照してください)、このことに関連して、「英語学習の際のコツ」について、さらに 2 点言及しておきたいと思いました。

一点目は、英語学習が進んでいない人々が陥る罠の一つが、英語のある単語の意味は辞書の中に見つけられる日本語のある言葉の意味とイコールで結ばれていると信じてしまう点であることです。

すなわち、英語のある単語の意味が独立して存在して、それと対応する日本語の言葉の意味も独立して存在していて、それらが完全対応していると信じる、ということですが、これは、幻想ですね。

英語であれ、日本語であれ、単語や言葉にはそれ独自の独立した意味というものはなく、むしろ、厳密な意味は、該当の単語や言葉が置かれた文脈によってしか特定または定義されない、と考えるべきだと思います。

(このことが、NLP で言う、「問題そのものは独立しては存在しない。問題かどうかは、その事象がどのような文脈に置かれているかによって、どうにでも変わる」という革新的な図式と見事に対応しているのは、驚きですね。)

ということは、辞書に出ている単語の訳は決して絶対的なものでなく、単にある程度の「目安」を示唆しているにすぎない、という恐ろしい結論も引き出せないことはありません。

事実、上級翻訳者向けの、「普通の辞書には決して載っていない」、ウルトラ C 的な単語の訳し方を網羅した辞書も市場には存在しています (例としては、日外アソシエーツ社の「ビジネス技術実用英語大辞典」や研究社の「英和翻訳表現辞典」等があります)。

二点目は、一点目と関連していますが、真の翻訳、通訳は、単なる平面的な字面もしくは単語の理解とそれに基づいた、翻訳された各言葉の「辻褄合わせ」的な並べ変えではなくて、たとえば英語和訳の場合であれば、ある英語の会話 (表層構造) を統語的、文法的に理解した上で英語の意味 (深層構造) を完全に理解し、その後、その意味 (深層構造) を日本語の意味 (深層構造) に変換し、そこからこなれた日本語訳 (表層構造) に降りてくるべきものです。そして、高質の翻訳家、通訳は以上のことを瞬時に行い続けているのは言わずもがなであり、このことができない「字面合わせ」の翻訳家、通訳は、即その職業を止めて業界を去っていくべきですね。

このことについては、極めて興味深いことが 1990 年代に起こりました。ロンドン市のある翻訳会社が私に「F1 モナコ GP 50 周年」特集の雑誌があるので和訳してくれないかと持ちかけてきました。当時、F1 に興味があったので、ぜひとも訳してみたいと思い、その会社が私に行った採用のための例題問題テストの際は、自分の全力を出した和訳を提出しました。

かなりの自信はありましたが、テスト結果は不採用で、私はがっかりしました。その後、数ヶ月して、別のロンドンの翻訳会社が私に依頼した和訳の校正の仕事が、まさにその雑誌だったことに驚きましたが、さらに、中を見てみて、私は、開いた口が塞がりませんでした。

その雑誌の草稿翻訳バージョンは、ページに継ぐページの誤訳オンパレードであり、ほぼいっさい手のつけようのない状態でした。特に、実際は心臓麻痺で病院で死んだレーサーが訳文ではレース場で事故死していたり、翌年撤退することになっていたタイヤ供給会社がすでに撤退してしまっていたり、このような笑劇以上の訳がいったいどのように可能かは私には想像不能でした。

私は、限られた時間と報酬で、専門でない校正を、できるだけの力を出して行いました。その後、この日本語訳の雑誌が国内で刊行されたかどうかは不明ですが、もし私がカバーできなかった重大な誤訳が残っていたとしたら、日本人の F1 ファンからは総スカンを食らったかもしれません。

後でわかったのですが、採用された該当の翻訳者は、元ジャーナリストの日本人だったそうです。確かに、テスト翻訳の際は、この方は非常にこなれた日本語で訳されたはずですし、そのことで翻訳会社から高い評価を受けた一方で、「完全無疵」的な翻訳であるが直訳風の私の日本語の文章は比較的低い評価を受けたことは想像に難くありません。

ただ、業界で機能する翻訳会社である以上、本来であれば、翻訳は、精度が高く直訳風の訳をする私に任せ、統語、文法的に読解力が低いが文章はこなれている、このジャーナリスの方に私の翻訳の校正を任せるべきだったと、固く信じています。

この辺の、翻訳家の統語、文法的読解力とジャーナリストの辻褄合わせ的な「化粧直し力」も正当に評価できない会社がプロの翻訳会社として機能していたことに、実力を見抜けない人々が跋扈しているのはどの業界でもまったく同じ図式だな、と実感した次第でした。

3 月 22 日の「個人的天才になるための必要条件」では、以上のような私の個人的天才性の「種明かし」が紹介されますが、「水平的学習者」であれば、私の話について「このエリアの話は私とは無関係です」と思うでしょうが、垂直的学習者は、(特に、私が自分自身を個人的天才にした、上述の 4 つのエリアの学習については、学習内容は異なっても、その内容の「学習のし方」はすべて同じであるという発見も本ワークショップで報告されますので、なおさら) 私の紹介する種明かしの意図を汲み取って、自分自身の業界での各状況に落とし込んで理解されることが予想されます。そういう方々は、またとない「個人的天才になるための必要条件」を獲得されることでしょう。

ワークショップ情報サイト: http://www.kitaokataiten.com/genius/